TheProletarian’s blog

「社会主義」について考えるブログです。

社会主義とは③概念

社会主義共産主義

 

 

どうもTheProletarianです。

前回の記事では、ものすごい雑に社会主義が発生した「時代背景」について触れましたが、ここからはもう少し具体的に中身を見ていきたいと思います。

 

 

ここでくどいようですが重要なのでもう一度。

社会主義」自体は決まった一つの思想ではなく、色々な方針を持つグループの混成だという前提を挙げましたが、ここから先で私が言及しているのはあくまでマルクス的社会・共産主義だということをご理解ください。

おそらく多くの人が認識しているのはマルクス派だと思うので。

 

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社会主義」について考えるとき、「社会・共産主義」と一緒くたに捉えてしまいがちですが厳密には違います。それぞれ「段階」が異なるというイメージです。

 

言わずと知れた「資本論」の著者として有名な「カールマルクス」も共産主義に関しては一定の段階を経て達成されると記しています。具体的には、三段階に分かれます。

 

①資本主義が成熟する(限界を迎える)←世の中の多くはここ

社会主義へ移行(生産手段の共有化、消費財を除く私有財産の廃止)

共産主義の達成(全てが共有。国や政府機構も消滅)←目指すゴール

 

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ここで鋭い方は疑問を持たれたことでしょう。

 

①資本主義???   

 

共産主義では否定される概念ではなかったの?!!

 

 

そうです。「資本主義」が最初の段階に含まれているのです。

共産主義」が目の敵にする「資本主義」も、実は通らなくてはいけない通過地点なのです。コインの表と裏のように、相反する概念でありながらも双方とも必要不可欠な存在なのです。

 

マルクスの書籍などを読むと、まあ堅苦しくまわりくどいことこの上ない言葉使いで書かれているので、「つまり何が言いてえんだよ~!!!」と吠えたくなってしまいますww

 

が、ここは私なりにざっくり捉えた「資本主義から共産主義への移行」を書きます。

 

 

①「資本主義」が発展すると大小さまざまな問題を人類にもたらします。

大きな視点で見ると、とにかくモノを大量に生産し売りつけたり、お金を貸し付けたりする必要があるので各々の自国領土内だけでは成立しなくなり、新たな領土を求めて戦争が起こります。これは世界史でのイギリス・フランスの植民地支配などの時代に顕著ですが、現代でも規模の縮小はあれど起こっていることです。

我々の身近な視点で見ると、たとえば温暖化やエネルギー問題、過労死やうつ病、所得格差の拡大や首都・主要都市部とそれ以外の地域での格差拡大など、、、

これらは定期的にニュースなどで取り上げられているので、ほぼ全ての人が身近に感じられる問題かと思います。

「資本主義」は我々に物質的豊かさをもたらす一方で、上記のような問題を山のように噴出させるものでもあるのです。

 

社会主義」という段階への移行

資本主義の究極地点では、前述のような問題がもはや解決不可能な点にまで達します。

プロレタリア(労働者階級)の不満は限界点を超え、各地でストライキが多発し社会が正常に機能しなくなります。そこで出てくるのが、プロレタリア自らが「社会」の運営をしようという考えです。まあとは言っても、既存の政府機構に一体全体どうやってプロレタリアが取って代わるのだという疑問が残ります。

だから歴史上、数々の革命が起こったわけですがここでは言及しません。

 

新政府機構はより平等化を目指して「資本主義社会」に蔓延するあらゆる「不平等」を正していこうとします。もちろん「自由市場経済」のままではそれは不可能なので政府による「計画経済」を導入します。もちろん生産手段は共有化され、私有財産も制限されていきます。

現代で考えると「規制緩和」の真逆の流れと考えればイメージしやすいでしょうか。

このように、「社会主義」という言葉自体が表しているように、「資本」ではなく

「社会」という共同体を第一として国を運営していきます。

※ここで重要な点は、新政府機構(国家)マルクス共産主義的に定義するならば「いずれ消滅することを前提とした国家」ということです。

あくまで「国家の消滅」を前提とした上で、過渡期における橋渡し的な概念としての新しい「国家」と捉えていたということですね。

 

 

③「共産主義」の達成

この地点は究極の理想郷です。

資本とか、私有財産はもちろんのこと、国や政府機構という概念も存在しません。

全く想像がつきませんねw  当然です。今だかつて、人類がこれを達成したこと

などないのですから。だから、例えばソ連や中国を例に出して、共産主義を否定することは間違いです。(共産主義国というのは、そもそも共産主義の概念では存在し得ない)

人々は常に自らの利益ではなく、社会全体の為だけに自発的に働きます。

「共産」という言葉を私は「共に産み出す」と捉えています。

法律で縛ったり、互いを監視したりせずとも、誰一人不正をせず、常に共同体の維持の為に誰からも強制されることなく働くことで「共産主義世界」は成立します。

もうこれが実現した世界といのは、ある意味「天国」とも言えますね……

はっきり言って今の我々未熟な人類には到底達成できないと思います。

でもこれが、「共産主義」が目指す未来像なのです。

 

 

このように段階を追って見ていくと、人類と社会が成熟した果てにたどり着く世界が「共産主義」であり、その過程に「社会主義」があるのだと解釈することができるでしょう。そしてこのことからは、文明の進歩などの技術的な意味合いのみならず、我々「人間」そのものがより成熟し進化していくべきだという思いが込められているように私には感じられます。「共産主義」というものは、ある意味で「政治思想」のみならず新たな「人類の進化論」を提示しているとも言えるのではないでしょうか。

個人的には、この点が「共産主義」を興味深く思う部分なのです。

もちろん、マルクス自身は「人類の進化論」などとは一ミリも思っていなかったでしょうし、科学的根拠や分析を伴わないそのような空想的発想など一笑に付するでしょう。

 しかし私が思うに、「マルクス共産主義」に決定的に欠けていたのはこの「人間的」視点です。彼らが繰り返し定義する「労働者」とは紙の上の領域を出ることはなかったように思います。現実の労働者とは、喜怒哀楽があり、労働に精を出すときもあればかったるいなぁと怠ける時もあります。理論だけで生きていくことはできません。感情に負けて矛盾や非合理的な行動も取ってしまうのが「人間の性」ですよね。

そして、「労働」を単に「賃金」や「資本家」との枠組みの中だけで語ることもできませんね。人間は感情があるので、自分の仕事に「やりがい」を感じれるかどうかでも同じような雇用条件においても労働に対する感じ方が全く異なると思います。

つまるところ、マルクス的な発想に欠けていたのは、「労働者は血が流れている生身の一人の人間」であるという点ではないかと私は思うのです。

同時にこれは今日、マルクスの時代と比べて遥かに「労働」というものが多様性を持ったより複雑で定義しにくいものになったとも言えるでしょう。

 

ちょっと話が脱線してしまいましたが、まあこうしていろいろ私なりに考えた結果

 

共産主義」は現在の我々にはあまりにも高次元すぎるので

無理に追い求める必要はない、というのが私個人の考えです。

何かの間違いで、我々が新人類になることができたらその時に考えましょう(笑)

 

 

今の人間社会にとって大切なのは、「社会主義」の段階なのです。

なぜならば、「社会主義」とは「人間の理性であり良心」であるからです。

 

まるでポエムのようになってしまいましたが(笑)

次回では、私が何故現代社会において「社会主義」思想を大事にしているのか

語りたいと思います!!